うっしーうっしー牛

ゼロ年代の想像力

ゼロ年代の想像力

ようやく読了。宇野常寛。今さら感は拭えないが、数年のブランクがあってもそれすらも考えているかのように議論が展開されているので、「今さら」なんて思わずに読んでみては(♪急かしてよ〜)。様々なカルチャー材を取り込んでいるが最も大きな軸となるのはやはり「エヴァンゲリオン」と「DEATH NOTE」の差異を中心に語られる生き方又は考え方の違い。ネタバレはしないけどこの中心となる考えは言ってみれば音楽にも政治にも様々応用できるんじゃないだろうか。読みやすいし非常に面白かった。評論家の何が嫌って(文学評論はともかく)、もうその職業自体嫌だった。自分は「じゃああなたがやってみては?」とか極端な考え方になってしまうから非常に危ないと思う。毛嫌いせずにこれからは少しずつ読んでみよう。
今まで数々のハッとさせられるほどの素晴らしいレビュー(ジャンル問わず)を読んできても自分の身とならないのは非常に悔しいことだなあと思う。それはもはや技量云々ではなく、自分が何かを言い切ることへの不安が大きい。大変大きい。逃げである。だから意見も無いことになる。実際は何か考えていてもやはりそれを「決断」して、表明して意見を交わすことをせねばとか考えている。あーーーねむいーー。でもなー今まで逃げ続けてきたもんなーーーー。そろそろ。





TSUTAYA1000円セール。今まで無意識的に避けていたSUPER BUTTER DOGなど(ハナレグミなどは聴いていたが)。





見つけるべきではなかった人のブログ見つけちゃったよ。あーあーあー。なんでそこ!?にあるんだ。こういう適当な嗅覚は要らない。もっと役に立つ情報嗅覚欲しい。






最近は学生らしくダーツやビリヤードをやっている。ビリヤードはともかくダーツが全然わからない。難しいしコツが分からないしで謎。ビリヤードは改善すれば良くなり、悪い部分は下手なままというのが見えやすい。けれどダーツはそういう感覚がない(多分あるべきなのだろうけど)。弓道もどちらかというとビリヤード寄りでそういうのが見えやすかったが、ダーツはなんだろう?あの距離感が私を狂わすのか(案外近い)。更に最悪なことに私はかなり負けず嫌いで、普段は隠れてるこの素性がこの時ばかりは満開で、自分でも嫌になる。さすがにちょっと笑えない状況なので少しずつ直そう。この他に私が本気で悔しくなってしまう究極の例は卓球である。皆で仲良く楽しくやろうよ、自分。






おばあちゃんが老人性鬱に。心配して電話したら結構元気で笑っていた。躁の状態かな?と余計心配に。いつもお米ありがとう。あなたの孫は料理が上手になりました。







今、人が大好きな時期なのでたぶんなんでも絶賛許せる中。割り込みも電車の中の携帯も図書館のフロントの機嫌の悪さにも。人が好きで好きで好きで大好きである。





なんか素敵なサンダル欲しー。